町石道

町石道の起点慈尊院へは南海九度山駅から20分と少しの距離。時間が許せば途中の真田庵を訪れるのもいいでしょう。大門まで直接目指すなら22kmの長丁場です。途中、最初の柿畑の中の登りと最後の矢立からの登りはなかなか厳しいものがあり、さらに町石道から天野の里に下って丹生都比売神社に参拝しようとすればさらに1時間は余裕をみないといけません。お天気が良ければ大門からの夕陽は格別のものがありますので、その時間に合わせてゆっくりと疲れないように歩くのが一番です。それでも途中で疲れたら、矢立からは紀伊細川駅へとエスケープルートもありますので心配要りません。パンフレット等では紹介されていますが、古峠から上古沢駅への道はすごい急坂を下りますので避けたほうが無難でしょう。緊急時は天野の里へ向かわれるのがいいと思います(町石道から天野の里へは六本杉、古峠、二つ鳥居から下る道があります)。それでは、世界遺産に登録された古の信仰の道、高野山への表参道である町石道をを一歩一歩踏みしめながら歩いてみましょう。

町石道(慈尊院180町石〜丹生官省符神社179町石)

慈尊院の門をくぐると丹生官省符神社への長い階段が眼前に飛び込んできます。慈尊院本堂に参拝して、その階段を上る途中右手の少し広くなったところに町石道の初めての町石・180町石があります。堂々とした風格で、これからこの町石が導いてくれる道に期待が高まります。階段を上り切って正面の丹生官省符神社にお参りして右の脇から外の道路に出ます。出たところに179町石があり、こんなに早く...と、ちょっと驚かされます。

町石道慈尊院山門から丹生官省符神社への階段がみえます。

町石道慈尊院境内から丹生官省符神社への階段

慈尊院『ウィキペディア(Wikipedia)』

慈尊院は空海在世中に建立され、厳寒期の避寒地として、また、高野山領の行政や年貢を司る政所としての意味合いが強かったようです。高野山への表参道である町石道の起点とされた由縁でしょうか。空海が入定(承和2年 -835年- 3月21日 62歳)する前年(承和元年 -834年-)に高野山を訪ねた母親が翌年2月5日(83歳)に亡くなるまでここに住みその廟所となり、慈尊院と呼ばれるようになりました。

町石道

町石道鳥居と比較してみると町石の大きさが実感できます。
180町石
左の写真では中央右端、階段の脇に建っています。

町石道丹生官省付神社

世界遺産登録 丹生官省符神社公式ページ

町石道

町石道丹生官省符神社を出てすぐの左手にある179町石です。

司馬遼太郎「街道を行く - 高野山みち」

慈尊院からの町石道は、司馬遼太郎「街道を行く - 高野山みち」を読むと『いまはほとんど廃道になっているらしい』とあり、この記事が書かれたのは1976年6月5日、6日の取材が元になっているのですが、そうすると、30数年前はかなり荒れていたようで、しかも、『十年ばかり前、高野山大学の若い先生と学生十人ほどが、ところどころ密林のようになっているこの旧道を登ったことがあるという。もはや人の通えるような道ではないと言われる』と、当時の凄い様が想像されます。さらに『旧道への入口は、まだ入口であるというのに、雑木で鬱然とし、樹々の下に木下闇ができていた。その木下闇を背にして、大きな花崗岩の町石が建っている。』と、180町石の横から町石道に入るあたりからすでに廃道然としていたようです。さらには、『ほんの十年ばかり前までは道の廃れとともに多くの町石が谷底にころがったり、人知れずに傾いていたりしたが、最近、文化庁の肝煎で谷底にころがっているのを滑車をつかってひっぱりあげ、その何基かを自動車道路の路傍に移したりして、近頃は人目につくようになった。』とあって、いつ頃からか戦後しばらくの間は町石道が顧みられることのない時期があったことが窺い知れます。現在の柿畑の中の舗装路がいつ頃にそのようになったのかは分かりませんが、かつての町石道との雰囲気とはガラリと変わっているのに違いありません。しかし、歴史への想いは想いとして楽しんで、現在を生きる我々は在りしままの町石道を歩くことになります。

町石道(178町石〜雨引山展望台)

179町石から農道のような(実際にこの上につづく柿畑などの果樹園への作業道になっています)舗装された坂道に入ります。すぐ右手に勝利寺と紙遊苑の広い駐車場が目に飛び込みます。慈尊院の横にもトイレはありますが、忘れた方はここで用を足しておくといいでしょう。これから先、丹生都比売神社へ寄り道するか二ツ鳥居の先神田地蔵堂までトイレはありません。しばらく坂道を町石に見守られながら進むと175町石を過ぎた頃から前方が開け、雨引山が正面に飛び込んできます。三谷坂の途中にあるユーモラスな形をした笠石は弘法大師の笠がこの雨引山から飛んでいったものがそこに引っかかったと伝えられており、大師所縁の山でもあります。新池橋の立派すぎる農道を越えて振り返ると173町石の向こうには紀ノ川流域と和泉山脈が奇麗な広がりを見せ、ここからは柿畑の中をどんどんと高度を上げていきます。最初の急坂です。しばらく薄暗い中を進むと169町石あたりで頭上が明るくなり、振り返ると高野の山並みが見渡せます。ここからは急な登りとなって苦しくなりますが、景色は素晴らしいものがあります。168町石から166町石までは右側が断崖で高度感もあり、右手に広がる紀ノ川、橋本市街や金剛山からその南尾根、三石山、和泉山脈の山々の展望を楽しみつつ166町石を越えると、町石道を少し行き過ぎたところに展望台があり、ここでしばし疲れた身体を休めて展望を楽しみましょう。高野の山並みも望め、小休止するには絶好の場所で、慈尊院とここを往復するだけでも楽しい歴史ハイキングとなるでしょう。

町石道勝利寺と紙遊苑(紙漉体験ができます)

勝利寺

紙遊苑

町石道178町石
道の傍らから数百年旅人を見守ってくれた町石です。1町(約109m)ごとに建てられていますから、まず道に迷う心配はありません。

町石道177町石
道の左側、木の影になって見落としやすいです。

町石道176町石

町石道175町石

町石道新池橋と雨引山

町石道174町石

町石道

173町石
上の写真は振り返って見た所で、進行方向とは反対方向です。和泉山脈が後ろに見えます。

町石道173町石

町石道172町石

町石道171町石

町石道170町石

町石道169町石
この先から急坂です。

町石道振り返ると高野の山並みが見渡せます。

町石道168町石

町石道新池橋が遥か下に見えます。

町石道167町石

町石道振り返って見る167町石と高野の山並みです。

町石道この高度感!

町石道166町石

町石道展望台(右へ)への案内板。町石道は左へ行きますが、少し展望台に寄り道してみましょう。

町石道

慈尊院から展望台まで約30分です。紀ノ川と橋本市街。奥に金剛山とその南尾根、その左は三石山です。

町石道展望台から紀ノ川と一番高い山は国城山(標高552m)です。

町石道左の一番高い山が楊柳山(標高1008.5m、奥の院はその右下辺り)で右のピークが弁天岳(標高945m、大門辺り)で、高野山の山域がかなり広いのが分かります。

町石道樹氷で有名な奈良と三重の県境にある秀麗な山容の高見山(標高1248.3m)も見えます。