高野街道

高野街道(橋本〜学文路)

かつては渡船に頼るしかなかった紀ノ川を橋本橋で難なく越えると、茶店や旅籠が軒を連ねていたという三軒茶屋には二基の大常夜灯が建っています。紀ノ川に沿って少し西に進むと清水小学校の向かいに西行堂とその傍らに高野六地蔵堂の第一地蔵が祭られており、また旧家も残るこの辺りの清水地区は高野街道の面影を色濃く残しています。

高野街道紀ノ川にかかる橋本橋を渡ります。

高野街道紀ノ川の流れ

高野街道橋本橋を渡って西に進みこのGSのある所で川沿いの道に入ります。

高野街道道はすぐに左右に分岐して、右の川沿いの道を行きます。

高野街道三軒茶屋の常夜灯

高野街道清水の集落は旧街道の面影を色濃く残す町並みです。

高野街道西行法師ゆかりの西行堂とその右奥には高野六地蔵堂の第一の地蔵が祭られています。これから先桜茶屋まで六つの地蔵堂が道中安全祈願のため祭られていて道しるべともなっています。

高野街道1997年「まちなみ部門」で和歌山県ふるさと建築景観賞を受賞した清水の町並み。受賞理由には、『住居が主体であるが約300メートルにわたり、伝統様式の町屋が多く並んでいる。看板や広告物なども無く、最近補修されたらしい民家も伝統工法に沿うものが見受けられる。日本瓦とシックイ壁に格子が美しい。明治大正以前のまちなみの面影を保っている点で、貴重なふるさとの景観である。』とあります。

清水の町並みを後にさらに西に進むと学文路天満宮の鳥居を左に見て広い道に合流します。その合流した右手に第二地蔵が祭られています。果樹園の広がる広い道を少し進んで小さな橋を渡って学文路小学校を過ぎ、すぐの左の小道に入り、突き当たりを右に少し行くと左に学文路大師堂、その正面、民家の玄関先に「三里石」があります。「四里石」から50分、6000歩足らずでした。

高野街道ここで広い道と合流します。この右手に第二地蔵が祭られています。

高野街道田園の中に第二地蔵

高野街道学文路大師堂

高野街道学文路大師堂の対面の民家の前に玄関のオブジェクトのように置かれた「三里石」。元は先ほど通り過ぎた学文路小学校の近くにあったものが移されたようです。

「三里石」を過ぎて少し進むと先ほどの広い道に出会い、そこを横断します。横断した辺りで、また紀ノ川に近付き展望も開けて金剛山脈、和泉山脈が見渡せ、通り過ぎてきた紀見峠も正面右手に望まれ、堺から歩き続けた旅人は遥か遠くまで来たことと高野山が近付いてくるのを思ったことでしょう。いくつかの標石の建つ学文路郵便局の前の道路には「高野街道」の石板が埋め込まれ、これからも要所要所には埋められているので迷いそうな分岐などでは注意するといいでしょう。

高野街道「三里石」を過ぎて少し行くと、信号のない広い道を横断します。

高野街道紀ノ川の向こう、写真正面の凹みが紀見峠です。

高野街道学文路郵便局の前には近くの古い石標が集められています。

高野街道「高野街道」の石板が道路に埋め込まれて「高野山女人堂」を指し示しており、この先にある分岐ごとに大変助かりました。

郵便局から酒屋の前を左に取るとまた広い道を渡ります。その向こうに高野線の踏切があり、そこから坂道が始まり山道へとつづく険しい道のりに変わります。そのため学文路は宿場町として栄えました。学文路駅は広い道を右に行けばすぐのところにあります。町石道との分岐・学文路三叉路の道標がこの広い道の手前にありますので区切りもよく、便宜上、ここから先を京大坂道(不動坂道)として別のコーナーを設けます。

高野街道広い道を渡った向こうに高野線の踏切が、渡る手前右(電柱の右)に学文路三叉路の道標石が置かれています。

高野街道学文路三叉路の道標石です。西へ進めば慈尊院へ一里、そして慈尊院から町石道を辿り大門まで五里の道のりです。南へ進めば京・大坂道で高野山女人堂まで三里の道のりです。