町石道の四季

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(下の記事は当時のブログに書いたものをそのまま転載したものです)

冬枯れの町石道 - 3 - (2009.2.28)

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九度山町営無料駐車場にお世話になって慈尊院に着いたのは8時45分。駐車場からは10分ほどの距離である。今日は朝から快晴で途中に立ち寄るつもりの雨引山もよく見える。雨引山は標高477mと、それほどの高さはないが、町石道からの分岐の案内板もあり気になっていたのと、以前三谷坂から丹生都比売神社に参拝して八丁坂から町石道に出て慈尊院へと戻る途中、同行させてもらった故老の方の話では雨引山は山主の方が山林を伐採して見晴らし抜群で、日照りがつづくと皆で山頂に行ってお祈りするとの話だったので、それも楽しみの一つだ。慈尊院、丹生官省符神社へお参りして町石道へと出る。

慈尊院からの町石道は、司馬遼太郎「街道を行く - 高野山みち」を読むと『いまはほとんど廃道になっているらしい』とあり、この記事が書かれたのは1976年6月5日、6日の取材が元になっているのだが、そうすると、30数年前はかなり荒れていたようで、しかも、『十年ばかり前、高野山大学の若い先生と学生十人ほどが、ところどころ密林のようになっているこの旧道を登ったことがあるという。もはや人の通えるような道ではないと言われる』と、当時の凄い様が想像される。さらに『旧道への入口は、まだ入口であるというのに、雑木で鬱然とし、樹々の下に木下闇ができていた。その木下闇を背にして、大きな花崗岩の町石が建っている。』と、180町石の横から町石道に入るあたりからすでに廃道然としていたようだ。さらには、『ほんの十年ばかり前までは道の廃れとともに多くの町石が谷底にころがったり、人知れずに傾いていたりしたが、最近、文化庁の肝煎で谷底にころがっているのを滑車をつかってひっぱりあげ、その何基かを自動車道路の路傍に移したりして、近頃は人目につくようになった。』とあって、いつ頃からか戦後しばらくの間は町石道が顧みられることのない時期があったことが窺い知れる。現在の柿畑の中の舗装路がいつ頃に荘なったのかは知らないが、かつての町石道との雰囲気とはガラリと変わっているのに違いない。

さて、歴史への想いは想いとして楽しんで、現在を生きる我々は在りしままの町石道を歩くことになる。花粉症に悩まされながら町石道を辿る。慈尊院から町石道を歩くのは今回が2回目だが、町石探しを楽しむのが目的なので大門まで辿り着くのは難しそうだ。なにしろ、駐車場の利用時間は18時までなのでそれまでには帰って来なくてはならない。早速177町石を見逃して、戻って確認。こんな調子では先が思いやられるが、ひとつひとつ確認しながら歩いて行くと以前には見逃していた風景も目に入る。

175町石を過ぎた頃から前方が開け、雨引山が正面に飛び込んでくる。三谷坂の笠石は弘法大師の笠がこの雨引山から飛んでいったものがそこに引っかかったと伝えられており、大師所縁の山として、また町石道からも案内分岐板がしっかりと付けられている。今日はそちらにも寄り道するつもりなので、見上げるのにも力が入る。新池橋の立派すぎる農道を越えて振り返ると173町石の向こうには紀ノ川流域と和泉山脈が奇麗な広がりを見せる。ここからは柿畑の中をどんどんと高度を上げていく。しばらく薄暗い中を進むと169町石あたりで頭上が明るくなり、振り返ると高野の山並みが見渡せる。ここからは急な登りとなって苦しくなるが、景色は素晴らしい。168町石からは166町石までは右側が断崖で高度感もあり、キョロキョロしているとバランスを崩しそうになって怖いくらいだ。右手に広がる展望を楽しみつつ166町石を越え、少し寄り道して雨引山中腹にある展望台に立ち寄る。ここからは和泉山脈から金剛山とその南尾根、紀ノ川流域、高野の山並みが望め、小休止するには絶好の場所である。慈尊院とここを往復するだけでも楽しい歴史ハイキングとなろう。

展望台から町石道へは少し戻って右の柿畑の中へと入っていく。右手に和泉山脈、左手に高野の山並みが望め町石を据えた景色では一番の眺望といわれる163町石から振り返っての展望を堪能したら、なおも右手に広がる紀ノ川流域から和泉山脈を見つつ歩を進める。162町石を過ぎると舗装路も途切れ地道に変わり山道を歩く楽しみとなる。156町石手前は少し広くなって右へと下る道が分かれ、古びた道標もあって古道らしさが感じられる。154町石手前には赤い鳥居があって扁額には「正一位稲荷宗五郎大明神」とある。154町石は破損して残った古い町石と新しく再建された町石が並んで建っているが、これからもこういうケースにはよく出会うことになる。154町石を過ぎるとすぐに雨引山への分岐がある。この時点で10時30分だったから慈尊院から1時間45分もかかったことになって、かなりのローペースだ。

雨引山への道に入り、154町石を上から見て少し行くと突き当たりになって道は左右に分かれる。雨引山へは左へと登っていくがなかなかの急坂だ。しかも、滑りやすい粘土性の土で雨の降った後などは下りには特に注意が必要だ。ヒーコラ言いながらも分岐から10分ほどで山頂に辿り着く。祠があって狭いながらも平坦な台地状になっている。ここで雨乞いの儀式が行われるのだろう。しかし、展望はほとんど、無い。確かに若木が育ってきて眺望を覆い隠してきた様子で、伐採された当時は360度の好展望だったに違いない。見晴らしがいいという故老の話に間違いは無かったようだが、人の記憶よりも苗木の生長は遥かに凌いでしまったらしい。往復20分の寄り道をして町石道に戻る。153町石と152町石は左手のかなり高い所に建てられている。153町石は見過ごして引き返して確認したが、1町間(約109m)は短いのでうっかりしたり、見つけにくい場所にあったりするとつい行き過ぎてしまう。148町石と147町石の間に少し広い空間があってベンチが置かれ、お大師さんが祭られている。しばらく平坦な気持ちのいい杉林の中を行くと144町石と一里石が並んで建てられている。慈尊院から1里(約4km)進んだことになる。

139町石も左手のかなり高い所に建てられており、見逃しやすい。私も案の定キッチリと見逃して、この辺り滑りやすくなっていて引き返すのに躊躇したが、行きつ戻りつして時間をロスするばかりである。137町石からの石段を上ると六本杉。天野の里へ下れば往復40分、あれやこれやでさらに時間がなくなるので今回はパスして大きく左へ回り込んで町石道を辿る。
>> 六本杉〜天野の里
さて、136町石がなかなかに見つからない。なんと、六本杉からすぐ左手の奥のほうの茂みの中に鎮座されている。ここからは緩い登りか平坦な箇所が多く右手の木立の間からは天野の里も見え隠れする。お昼に近くなってお腹も空いてきたので二つ鳥居の展望台に急ぐ。133町石だ。この右脇にある杉木立にいくつも巻き付けられたピンクのテープを目印に小都知ノ峯へと登り126町石へと尾根道を辿ることができる。ただし、こちらからは急坂で展望もあまり開けない。

133町石から古峠へと向かう。ほぼ平坦な歩きやすい道で自然林もだんだんと多くなり、町石道でも最も美しい道のひとつだろう。126町石の左奥には小都知ノ峯への案内板が建てられ町石の右側からUターンするように尾根道に取り付く。時間があればここから往復(約40分)して丹生明神が天野の里を国見したという伝説の地に立ってみるのも一興である。ただし、冬枯れの木立の間から天野の里が見え隠れするくらいで展望はほとんど期待できない。
>> 小都知ノ峯
124町石の建つ古峠からは右に下れば丹生都比売神社への最短距離だが急坂の、左に下れば上古沢駅への激下りの道が分岐している。古峠からしばらく進むと大変な泥道となって靴とズボンの裾が泥だらけになってしまった。町石道はこれから先も至る所で雨の後はドロドロ道となるので、歩く予定の時は晴れが続いた後が吉。間違っても雨の降り続いた後にいくらその日のお天気が良くても、新しい靴や奇麗なズボンで来るものじゃない。
>> 上古沢駅〜古峠
泥にまみれて二つ鳥居手前の展望台に着いたのは12時20分。先客の若いご夫婦の隣にお邪魔させてもらってやっとお昼にありつく。ここから見る天野の里は時が止まったように静かで美しい。さて、ここまで思いのほか時間がかかったのでのんびりとしている間もなく10分ほどで食べ終わって出発。今まで3回この場所を通り過ぎたが、いつも見落としている二つ鳥居にあるという120町石は、八丁坂を天野の里へと下る道の向こうの少し高い所に建っている。
>> 八丁坂

119町石からの町石は以前歩いた時にほとんど確認済みなので、やや早足となって先に進む。それでも見落としていたものをまた見落として引き返したりとロスを重ねて、ゴルフ場の脇を過ぎ、神田地蔵堂を過ぎ、また再会したゴルフ場脇を過ぎ、泥道を過ぎ、90町石を過ぎ、見落としていた89町石を探す。行き過ぎたかと不安になった頃に見つけたのは88町石。さて戻らなければならないが、この間も凄い泥道だったので気分が滅入る。ところが戻り道でも見つからず、90町石まで戻ってさらに泥道に脚を取られながら一歩歩いては上を見上げ左右を確認して引き返すと、やっと左手の少し高い所の茂みの中に隠れているのを発見。88町石から笠木峠までは気持ちのいい道で、笠木峠に着いたのが13時30分。このまま大門を目指してもいいが極楽橋駅の発車時間の関係では駐車場を18時に戻るには気ぜわしそうである。笠木峠から上古沢駅への道も一度は歩いてみたいのでここは上古沢へと向かうことにする。ここで笠木峠から矢立までの間で85町石だけ見落としていたのを思い出して、ここからはほんのすぐ先なので85町石まで往復。85町石は左手の高い所、鉄塔の下にあった。

笠木峠に戻ってふと道標に付けられたメモ書きを見ると「上古沢へは必ず迷うので矢立に向かうように」というようなことが書いてある。これにはちょっとビビッたが、なんとかなるだろうと上古沢への道を辿る。舗装路の急坂だ。どんどん下っていく。これで道に迷って元に戻る羽目になったら堪ったものじゃないと内心ビクビクしていたが、共同墓地に出て、民家もたくさん建っている。まずは一安心だ。さらに墓地の向い側は大いに開け、正面に見えるのは金剛山とその南尾根ではないか。弁天岳とその中腹を走る大門と高野山駅を繋ぐ道のガードレールも見える。素晴らしい展望が広がっている。

広くなった舗装路を点在する民家の脇をどんどんと下っていく。ほぼ道なりで迷うことも無いと思うが、分岐にはしっかりと上古沢駅への標識も建てられている。あのメモ書きは何なんだったろうか。確かに凄い危険とも思われる急坂はあるが、注意さえしていれば道に迷う心配はなさそうだ。眼下には南海高野線の線路も見え安心感もあり、何といっても展望は素晴らしい。集落から離れて下り切ると国道370号線に合流。ここを左に400mほど下っていくと右に入っていく細い舗装路がある。標識はあるがかなり朽ちているので見落とさないように。少し急な下りだが長くはつづかず清流にかかる橋(不動橋)を渡る。橋を渡って右側に祠があり、上古沢駅へは左へ行く。ここからは少しずつ登りとなるがそれほど急な坂でもなく、地道の気持ちいい山道がしばらくつづく。眼下には清流が気持ちのいい音を響かせながら流れ、左手の視界がパッと開けると右手に線路、前方に民家が見え出して上古沢駅が近付いているのが実感できる。駅手前の少しの急坂を上れば笠木峠から1時間足らずで到着する。上古沢駅から笠木峠に向かうのは眺望を楽しむ余裕が無いほどの急坂を上ることになるので避けるのがいいが、下りの急坂を厭わなければ展望といい変化といい一度は歩いてもいい道のように思った。